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いてんまえのはちまんぐう(しづがわしおいり)
移転前の八幡宮(志津川塩入)

移転前の八幡宮(志津川塩入)

 八幡宮は、安永3年の「風土記御用書出」によると同社は志津川村の鎮守で、元町(八幡町)に鎮座していました。勧請等の詳細は判っていませんが、源義家が安倍貞任を討った際に戦勝として建立し、のちには本吉四郎高衡(藤原秀衡の四男)も崇拝したと言い伝えられています。御用書出では文治年間(1185~1189)に本山派和光山中将院という修験が子孫の喜明院別当に祀らせたとあります。写真は八幡町に鎮座していた当時のもので、現在の場所(上の山公園)への移転は、昭和46(1971)年のことです。

【「志津川町誌」使用写真より】

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