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あべたんごのはか(いりやはやしぎわ)
安倍丹後の墓(入谷林際)

安倍丹後の墓(入谷林際)

 悪水の堰の脇にある墓碑で、碑面は「清三道照信士 永正元年五月十六日 安倍丹後墓子孫大○○位」と読めます。永正元年といえば1504年で、この頃まだ墓碑を建てて死者を弔う風習はありませんから、先祖供養のため江戸時代に入ってから建てられたものと思われます。安倍丹後なる人物については不詳ですが、入谷字岩沢にも安倍丹後の墓と称する塚があり、他所から流れてきて入谷に居付いた人物と伝えられています。ゴールドラッシュに伴って入谷の里には他国から大勢の流人が入り込み定住したと伝えられており、「弓折」なる地名もある武芸者がこの地に定着するにあたって弓を折り捨てた(一説には武芸を極めることもなく金掘りにうつつを抜かして人生を終えることを悔やんで弓を折った)との逸話がもとになっています。 【2004.11.17撮影】

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