どうじさん(いりやどうじした)
童子山(入谷童子下)
宝暦年間(1751~1764)に記された「入谷安部物語」に入谷千軒伝承の舞台として登場する山です。同書によると、かつて「弓折に三百軒 大羅沢に三百軒 中の町に五拾軒 其外(中略)千軒程あり」、「金山さかんなる事は不及筆」、「掘る事言語にのべがたし」といった繁栄振りだったようですが、そうしたゴールドラッシュも寛永の初め頃までで、それから百年以上が過ぎた宝暦の世では「先祖の云置には」「金は掘つくしければ」「是より末世に及ぶ共金掘事堅かるべし」と、村方として金採掘を忌避していたことが伺えます。実際、その後も近世~近代を通じて芳しい産金を見ていません。なお、写真手前が入谷字中の町(なかのまち)、遠景に見えるのが大羅(だいら)の集落で、表町(おもてまち)とも呼ばれた弓折(ゆみおり)は写真よりも右側の尾根向こう(童子山東斜面)になります。 【2006.04.28撮影】