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こもりごぜんしゃ(しづがわこもり)
小森御前社(志津川小森)

小森御前社(志津川小森)

 源義経が鎌倉幕府の追討を逃れて平泉に下った際、その従者の一人だった鈴木三郎重家は、熊野の地に妻、小森御前を残してきました。小森御前は夫の子をおなかに宿していたため残されていたのですが、夫を慕って後を追いました。御前が当地に着いた頃、平泉から重家は高館にて義経ともども討死の知らせが入りました。御前は夫の死を嘆き悲しみ、子どもや乳母とともに身を投げ果てました。村人はこれを哀れに思い、この地に葬り、小森御前社として祀ったと伝わっています。小森御前の伝説は、様々な形で残されており、夫重家は秋田県羽後町に落ち延び、羽後町鈴木家の始祖になったとか、小森御前は、夫の死を知った後、この地に土着して村人から慕われながら生涯を閉じたなど、義経伝説とともに形を変えて伝わっています。祠は東日本大震災の津波により倒壊流失してしまいましたが、現在、東日本鉄道文化財団や羽後町の鈴木家子孫の方々の助力を得て、小森御前社再建実行委員会の手で神社の再建が進められています。

(2010.9.10に写真を更新)

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