でわさんさざんひ(うたつたてはま)
出羽三山碑(歌津館浜)
出羽三山とは、山形県庄内地方に広がる月山・羽黒山・湯殿山の総称です。この山々は古くから修験道を中心とした山岳信仰の霊山として今でも多くの修験者や参拝者が訪れています。江戸時代には「東国三十三ヶ国総鎮守」とされ、熊野三山(両国二十四ヶ国総鎮守)、英彦山(九州九ヶ国総鎮守)とともに「日本三大修験山」といわれていました。そのため東北地方や関東地方の広い範囲から多くの信徒が三山詣でを行っており、町に残る石碑はその参詣の記念碑です。当時の三山詣では、お伊勢参りと同じように契約講を作り村の代表を送り出すという大々的な行事でした。旅というものが気軽に庶民のレジャーになったのは第二次大戦後、高度経済成長を経てからのことで、昭和の初めまで、一般庶民は生まれ育った町や村からほとんど出ることもなく一生を終えるのが当たり前でした。
町には41基の三山碑が確認されており、年代が判明しているもので最も古いものは、入谷山の神平に残る享保4年(1719)の石碑です。
【写真:「歌津町の文化財」より】