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ふもんいん(いりやたらばさわ)
吟松山普門院(入谷桵葉沢)

吟松山普門院(入谷桵葉沢)

桵葉沢の普門院は、那智松山の朝臣山谷卿が出家、諸国行脚の後応永二年(1395)に故郷に似たこの山野に惹かれて開山したと入谷物語に記されています。安永風土記書出には南向きに十間八間の客殿があり、本尊は四寸八分の観音坐像で、脇仏として元三大師作の地蔵菩薩立像があったと書かれています。応永二年の創寺当初は、現在の場所と異なり、現在の場所にある寺は大雄寺三世、嶺庵林棟和尚が元和元年(1615)に再興したと伝えられています。
 このお寺が普門院と呼ばれるようになった由来としてこんな奇譚が残されています。


 あるとき、白衣の媼(おうな)が和尚の前に現れ、「私は山姥の変化ですが、お産のために苦しんでおります。どうか和尚様お助け下さい。」と懇願しました。そこで和尚は祈祷をして山姥の窮地を救いました。助かった山姥は、そのお礼にと一巻の巻物(反物説もあり)を手渡しました。山姥は「この巻物はご利益を授かるありがたいものです。ただし、決して開いてはなりません。」と言い残して去っていきました。和尚はその言葉を信じ、大切に保管していましたが、ある時そんなことを知らない家人が誤ってその巻物を紐解いたところ、中から金色の蛇が逃げ去っていきました。それ以来寺は次第と寂れてしまったということです。その時の巻物が「普門品」という経典であったことから、寺の名を普門院とよぶようになりました。


【2006.03.08撮影】

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