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こうしんひ(うたつたてはま)
庚申碑(歌津館浜)

庚申碑(歌津館浜)

 庚申信仰の供養碑で庚申塔、庚申塚とも呼ばれます。町内では志津川44基、戸倉26基、入谷40基、歌津36基の計146基の報告が挙げられています。庚申信仰は元々中国の道教思想に由来する禁忌信仰で、庚申の夜に眠ると命が縮まり、眠らずに身を慎めば災難から逃れられるとされていました。この信仰は既に平安時代には貴族間で「庚申御遊(こうしんぎょゆう)」として行事化されていましたが、庶民に広がったのは中世以降で、東北地方では江戸時代初期から急速に流行し、明治大正期まで続けられました。庚申の日は庚申講と称し、この碑に神酒・神饌を供え、飲食を共にして夜を明かしました。当時の庶民には娯楽がほとんどないことから、信仰という名のもとにこのような社交娯楽の機会が各地で多く行われたことを示す端的な証拠といえます。
 町内の庚申塔に刻まれた年号からは、貞享年間(1684~1687)から明治時代(1868~1911)の200年以上に渡って庚申講が行われていたことがわかります。

【写真:「歌津町の文化財」より】

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