前方にスクリーンとプロジェクターが設置された室内で、参加者たちがテーブルに座って飲み物を片手に歓談しながら交流を深めている前夜祭の様子を写した写真

前夜祭の時点ですでに熱気が溢れていました

南三陸町で進められている様々な研究の発表が行われる「南三陸いのちめぐるまち学会」の第2回が開催されました。この記事では前夜祭として催されたサイエンスバーの様子をレポートします。妖怪と自然との関係性など気になるワード満載だった濃密なイベントとなりました。(全3回の1記事目)

第1部:南三陸に大学を作ろう!作戦会議

男性がスクリーンの前に立っており、スクリーンには「いのちめぐるまちのカオスな大討論会」などの文字が表示されている写真

南三陸いのちめぐるまち学会の学会長である佐藤太一さんからの挨拶でスタート

学会の前日となる11月22日(水曜日)、まなびの里いりやどの研修室にて前夜祭が行われました。学会参加者や地域住民の方々が集まり、明日から始まるアカデミックな研究や課題研究についての発表を前に、ミーティングが始まりました。

スクリーンの前で、黒い服を着た中貝宗治さんがマイクを持って話しており、多くの人々が座って聞いている様子の写真

中貝宗治さんによる「大学は町を変えるか」というテーマでの講演

まずは講師として豊岡市で市長を務めていた中貝宗治さんによる基調講演。在任中に豊岡市で行ってきた大学の誘致と町への効果についてのお話となりました。

「人口減少が及ぼす影響として、閾値を越えた減少は文化の担い手の損失に繋がる。また、夫婦の数が減っている中での女性特化の地方創生や、地方への若者の回復率が減っているなど傾向が分かりやすい部分も見えてきました。」

黒い服を着た中貝宗治さんがマイクを持って話しており、スクリーンにはグラフが表示されている写真

豊田市と南三陸町のグラフを比較・検証

今や日本全国の市町村が向き合う人口減少という壁に対し、原因を特定しそれに合ったアプローチを徹底していく。「Local & Global City、地域固有のコンテンツが世界で輝く原石になり得ます。大きさ・高さ・速さではなく、深さと広がりで勝負していく。今あるものを守り、磨くことが大事です。」と町にある資源をしっかり磨いていくことが人口減少を解決に導く鍵だとしました。

講演会場で中見宗治さんがマイクを持って話しており、参加者たちが話に耳を傾けている様子の写真

地方だからできる戦い方と諸課題への効果

事例として、在任中に取り組まれた「芸術文化観光専門大学」設立の経緯についてご紹介されました。「元々演劇の町として永楽館の歌舞伎が文化としてありました。そこに教育や個人知に勝る集合知、専門職大学の誘致などを掛け合わせた“アーティストインレジデンス”の実現に向けて動きました。」

南三陸町の人口動態に関するデータを示しながら講演を行う中見宗治さんの写真

世界的に有名な平田オリザさんも関わるプロジェクト

芸術文化は強い個性の中から生まれ、多様性を受け入れる風土を育み、町の寛容性を高めるものとすることで、国内外の様々なアーティストが豊岡市を訪れ、滞在しながら制作活動ができる環境を整備しました。

スクリーンにオーストラリアでの暮らしの中で経験したことを理由に、豊岡で4年間学び、故郷の地域に貢献できる人材になりたいと志願理由の文章が表示されている写真

豊岡市が芸術・アートが醸成される町となった結果、熱意溢れる高校生が入学してくるようになった

さらに、大学を地方に作ることの強みについて中貝さんは「学生が創作に集中できるようなサポート体制と広報、協賛、地域をつなぐ生活支援は小さな町だからできることです。そして、若い人がいるということで、その町を元気にすることができます。」と都市部の大学との差別化と、スケールが小さいからこそできる連携や協力体制があると話しました。

世界に通用するおもしろさを

中貝さんからの講話のあとは、集まった参加者同士で「南三陸に学ぶ場所を作るとしたら?」をテーマにしたワークショップが始まりました。先ほどの講義を受けた上でそれぞれのグループで異なる視点の学ぶ場所のイメージが出てきます。

太齋彰浩さんがマイクを持って話しており、スクリーンには「『いのちめぐるまち』がもたらす次世代の学び 南三陸『いのちめぐるまち』大学構想」と書かれている写真

大学構想について学会の事務局を務める太齋彰浩さんからの説明

「めざす未来」の目標に対して、町、社会、大学それぞれの課題が赤字で箇条書きにスクリーンに表示されている写真

南三陸町が示すいのちめぐるまちを牽引するために、大学を作ることで諸課題の解決を狙う

―学生は町内と町外でアプローチが変わる。小学校〜高校で授業に強みを持たせる、活かすことがポイントなのでは。

中貝さん「町外から来るようでないといけない。町内の子は外に出ても良いという風土を作るべき。」

―いのちめぐる→生き物→食を自由に学べるという構想はどうか。

中貝さん「山も海は日本中どこにでもある。しかし食という観点は良い。」

多くの人々が椅子に座り、グループで話し合っている様子で、背景には資料が映されたスクリーンが見える室内の写真

近くの人とディスカッションをし、どのような学びがあれば、どういう環境が必要なのかを出し合う

太齋彰浩さんが立っている前に、木製の壁に貼られた2枚のホワイトボードがあり、学びの場を作るための意見が箇条書きに書かれている写真

出てくる意見を嬉しそうに板書する太齋さん

そのほか、高校に新しいコースを作る、技能実習生が学ぶ場も必要ではといった意見が並び、総括として中貝さんから「南三陸でやる意味はなんなのか。こうした事業を進める上で重要なのは、なぜそれが必要なのかを深く語ることで、そうした深く理解した人と出会うには対話が必要です。個人にとって必要ではないとされるものの中で、町にとって必要なものが無くならないように仕組みを作っておくこと。」と、南三陸町の学びの場にエールを送られました。

多くの人々が椅子に座って拍手をしており、緑と白の模様があるボードの前で講師が立って話している写真

終わったあとも質問するために列が途切れなかった

第2部:サイエンスバー「妖怪と自然」

男性がマイクを持って話しており、スクリーンには サイエンス・バー『妖怪と自然』と書かれた文字の下に、妖怪のイラストが写し出されている写真

カオスという言葉がぴったりな妖怪というテーマ

第2部は佐藤太一会長と環境釧路自然環境事務所長の岡野隆宏さんによるサイエンスバー「妖怪と自然」先ほどとは打って変わりオカルト要素となりましたが、ここでは自然現象や地域振興から見た現在までの妖怪についての対談となりました。

まず岡野さんから、妖怪に関心をもつようになった奄美大島での出来事として「ケンムン」という妖怪についての説明がありました。当時岡野さんは奄美大島にて「人と自然のふれあい調査」という研究をしており、その中で「五感によるふれあいアンケート」といった、住民の方々が五感それぞれで感じる地域の特色についてまとめたアンケートがありました。

スクリーンに映されているスライドのタイトルは「よみがえる五感の記憶」で、二つの地域の目と耳に関する記憶が箇条書きに比較されている写真

島の2地区を比較し、同じ島民でも五感に残る記憶に違いが見られた

スクリーンに「それはまた続き、次回にしましょう。」という文字が映し出され、下部には関連する文章が表示されている写真

オカルト好きなら引き下がれない文言が並ぶ

盆踊りの風景、肌で感じるタコの吸盤、機織りの音などその地域特有の記憶が見える結果となりましたが、岡野さんはここに「畏れ」という項目を追加し調査をしました。すると、海がある地域と海がない地域それぞれで妖怪の名前が連なりました。「最初、島民の方からこの話を聞いた時は“おもしろい話がいっぱいありますけど。それはまた続き、次回にしましょう。”と言われたもんですから何度も足を運んで見聞きしました。その中で特にケンムンに興味が湧いてきたのです。」

スクリーンに「ケンムン」と題された文章と赤ん坊ほどの大きさで頭の毛が長い生物のイラストが映し出されている写真

江戸時代にはすでに目撃されており、書紀も残る

ケンムンは島の色々な場所で名前を聞くほど有名な妖怪で、記録を辿ると江戸時代にまで遡りました。当時の目撃談が残るほど、多くの方が目にしたのでしょう。

スクリーンに色とりどりの文字で様々な場所の名前が記されたケンムンの目撃情報が寄せられた地図が映し出されている写真

地図上の?マークがケンムンの目撃情報が寄せられた場所

「ケンムンが目撃されたとされる場所を地図上に記し、そこから考察できたのは町の境界線で多く目撃されている、境界線の神様ともいえる存在ということでした。」一概に悪い妖怪とは言えないようで、人が自然との共生のおきてを守っている間は幸福の神、そうでなければ悪霊となるというのです。

スクリーンに「境界線に存在する安寧と幸福をもたらす神」と題された文章とケンムンのイラストが映し出され、ケンムンについて説明する写真

人々の自然への向き合い方で神様にも悪霊にもなる存在

そして、こうした妖怪の話は人が集う場にてより拡散されたとも言います。それは寄り合いや島のお祭りなど、個人の体験(ここでいう怪談)を共有化する場所の一つが昔ながらのお祭りだったと。そうすることで畏れは広がり、目撃例も増えていったのではないかとした上で、現在はそうした寄り合いもコミュニティも希薄化する中で段々と畏れが地域間で広がることは少なくなってきました。

スクリーンに「八岐大蛇」と題された文章と、左側に巨大な蛇、右側に剣を持った人物が描かれた絵が映し出されている写真

古事記や日本書紀にも登場する八岐大蛇

「昔は大きな自然現象の原因は妖怪だとされていました。ヤマタノオロチは災害を妖怪に置き換えて畏れていたなど諸説あります。ですが技術が発達する中で災害や自然現象に科学的説明がつくようになったことで、妖怪は大きな畏れから身近な怪異にスケールダウンしていきました。昔は水墨画のような怖い絵だったのが、昨今はポップなイラストになったりしていますよね。これは人々の捉え方とリンクしているのではないかと思います。」

教室内でスクリーンに「本草学の対象」と題された文章と、中央に川太郎、右側に水虎のイラストとそれぞれを説明する文章が映し出されている写真

大昔の生物学の本とされた「本草学」内にも”在るもの”として登場した際の河童(川太郎)

スクリーンに「そして現在は・・・」と題された文章と、カッパの絵やカッパが描かれたバス、カッパの像、カッパをテーマにした店の写真が映し出され、現在のカッパ文化について説明する写真

各地でキャラクターとして扱われるようになった現代の河童

人々の生活模様が変わる中でコミュニティの変化や祭事の衰退、自然との距離が空いてしまったことによる畏れの変化。これまでの妖怪とはまた異なる畏れ、現代的な畏れとは一体なんなのでしょうか。

オカルト談義!あなたの話聞かせてください

白と緑のチェック柄のロゴ入り幕を背景に、テーブル越しに向かい合って座った二人の男性がマイクを使って楽しそうに対話しているトークイベント中の写真

太一さんが楽しみにしていた岡野さんとの対談では、民俗学的な妖怪や南三陸町での言い伝えで盛り上がりました

岡野さんによる「妖怪と自然」の講話の後は、南三陸オカルト部会の会長も務める佐藤太一さんとの妖怪対談。講話の感想を聞きつつ、参加者に体験したことのある怪異がないか調査したところ何人かが「実は昔こんなことが…」と挙手。それぞれ幼少期の不思議な現象や実際に体験した心霊現象など、体験したことのない人からしたら「まさか学会に来て怖い話を聞くことになるなんて!」となるような、背筋がゾワッとする良質な体験談ばかりでした。

会議室で多くの参加者がグループごとにテーブルに座り、笑顔で前方を見ながら和やかに交流していて、飲み物やメモ帳が各テーブルに置かれている、懇親会中の写真

参加者からも「うちの地区だとこんな話が…」といった形で町の妖怪がどんどん出てくる

明るい室内で黒いパーカーを着た若い女性がマイクを持って笑顔で発言し、周囲には座って話を聞く人々がいる交流会の写真

幼少期の恐怖体験を語る参加者

また、参加者の1人からは「今や夜になっても明るいところばかり。畏れの原点は暗闇ではないだろうか?」という問題提起があり、それもそうだ、やってみようと一時会場は真っ暗になりました。

暗い会議室でプロジェクターに日本語のスライドが映し出され、数人の参加者がテーブルに座って真剣に話を聞いている、プレゼンテーション中のセミナーの写真

暗闇や闇というのは都市部だと少なくなってきているという指摘も

見えないからこそ感じられる恐怖や、未体験の領域に畏怖を感じることは今でもあると思います。この時間の締めくくりに岡野さんから妖怪も絶滅危惧種だということが伝えられました。「昔、妖怪の生息範囲だった自然環境は時代と共に変わり、私たちも自然がまったく未知の存在であるということはなくなりました。他者と個人の経験を共有するコミュニティも衰退しつつある中で、妖怪はもはや絶滅危惧種といえるでしょう。そこから、人と自然、共同体への関わり方の変化が見て取れます。」

椅子に座ってマイクを持つ岡野さんが話している講演会の写真

現代の妖怪はどうなっていくのか楽しみでもあるという岡野さん

妖怪という人々にとって未知だった存在から自然を見てきた昔と、自然すらも構造がわかってきた現代において、妖怪が住む場所は残るのでしょうか。また、これまでにない畏れとして新たな妖怪が生まれることはあるのでしょうか。「妖怪」という未知の存在だった面から見た自然との関係性について学べた、とても濃密な前夜祭となりました。

スクリーン背にしてマイクを持ちながら笑顔で話している佐藤太一さんの写真

南三陸オカルト部会としても妖怪の調査をしていきたいと話す太一さん

和やかに、しかし熱量は高い状態で前夜祭は締めくくられました。
次回、カオスな大座談会翌日の学会の様子は下記リンクから!

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