日本遺産認定!「みちのくGOLD浪漫―黄金の国ジパング、産金はじまりの地をたどる―」

 南三陸町をはじめ、気仙沼市、涌谷町、陸前高田市、平泉町が申請していた「みちのくGOLD浪漫―黄金の国ジパング、産金はじまりの地をたどる―」が令和元年度の日本遺産に認定されました。

 また、令和4年度には石巻市が追加認定され、ストーリーのさらなる磨き上げがなされました。

「日本遺産(Japan Heritage)」とは?

 「日本遺産」は、地域の歴史的魅力や特色を通じて日本の文化・伝統を語るストーリーを文化庁が認定するものです。

 ストーリーを語る上で欠かせない魅力あふれる地域の様々な文化財を、地域が主体となって総合的に整備・活用し、国内外へ発信していくことにより、地域の活性化を図ることを目的としています。

 今後は、今回の日本遺産認定をきっかけとしてともに申請した6市町が手を携え、交流人口の拡大や担い手育成、そして東日本大震災からの復興に向けた起爆剤として「日本遺産『みちのくGOLD浪漫』」を推進していきます。

「みちのくGOLD浪漫」のストーリー概要

 日本で初めて”金”が産出されたのは奈良時代の陸奥国。現在の岩手県や宮城県を含み「みちのく」とも呼ばれるこの地が生んだ”金”は富の象徴のみならず、奈良・東大寺の大仏や平泉・中尊寺金色堂を彩り、祈りの対象として人々の心に光を灯し続けてきました。

 私たちは、時代とともに幾重にも結び付き、独自の文化や信仰、産業へと昇華した”金”と人々の縁を”みちのくGOLD”と名付け、価値や魅力の掘り起しを始めました。日々の生活や風土に溶け込んだ”みちのくGOLD”との出会いは、悠久の時を経ても色あせることのない浪漫に満ちあふれています。

南三陸町の構成文化財

田束山経塚群 たつがねさんきょうづかぐん(県指定史跡)

 田束山の山頂に築かれた経塚(お経を埋めた塚)で、全部で11基残っています。昭和46年、塚の一つを発掘調査したところ青銅製の筒(経筒)が発見され、中には朱書の法華経が10巻納められていました。経筒の形状から、約800年前の平安時代のものであると考えられます。

 平安時代末期、日本には仏法が衰え世の中が乱れ、混沌の時代が来るという末法思想が広がっていました。このような時代背景から、大事な経典を後世に残すため塚を築く風習が起こり、奥州藤原時代から信仰の山であった田束山に塚を築いたと考えられます。

田束山経塚群の写真

紺紙金泥大般若経 こんしこんでいだいはんにゃきょう(県指定有形文化財)

志津川袖浜の荒澤神社に伝わる社宝で、金字で書かれた経典です。平泉中尊寺に残る紺紙金泥一切経の一巻と考えられ、奥州藤原氏第3代秀衡が建立したという田束山寂光寺の什物であったものが伝わったとする言い伝えがあります。

紺紙金泥大般若経の写真