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だいおうじ(しづがわたじりばたけ)
松林山大雄寺(志津川田尻畑)

松林山大雄寺(志津川田尻畑)

 町内きっての古刹として知られる大雄寺は、平安時代末、奥州藤原三代藤原秀衡の四男、本吉四郎高衝によって開基したと伝えられています。現在は曹洞宗の寺とされていますが、創寺当初は天台宗の寺でした。元々は中瀬町寺沢か細谷にあったのですが、一時衰微して、天文六年(1537)に登米町龍源寺三世、中室存的和尚が曹洞宗の寺に改め、阿弥陀如来を本尊として現在の地に再建したといわれています。その後慶安元年(1648)に焼失、享保二年(1717)に再建と記録に残っていますが、「安永風土記書出」が書かれた安永三年(1774)には、「客殿、西向竪十四間横六間半」と記されていることから、この地方にあっては大伽藍の様相を呈していた寺院であったことが偲ばれます。山門は宝暦元年(1751)に山内甚之丞が寄進したもので、町の指定文化財になっています。現在の本堂は萱葺きとして藩政末期に建てられたものを昭和55年に赤瓦に葺き替えています。寺にはその古い歴史を反映するように慶長年間の御条目制札や間引きを戒める地獄絵図、過去帳など当時を伝える貴重な史料が多く残されています。南に延びていた参道には樹齢300年はあろうかという84本の杉並木がありましたが、東日本大震災の津波により枯死、その材は沼田に再建されたあさひ幼稚園に使われています。

【2006.01.20撮影】

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