旧志津川町の年表【昭和】(~昭和30年)
このページは、次の資料に記載された年表をもとに編集したものです。
- 志津川町町制施行100周年記念誌「志津川メルクマール」(平成7年10月31日発行)
- 志津川町町制施行110周年記念誌(平成17年3月27日発行)
西暦 | 年 | 月 | 内容 |
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1926 | 大正15年 | 12月 | 「昭和」と改元 |
1927 | 昭和2年 | 4月 | 気象観測所を志津川小学校内に設置(毎日定時に、雲量・天気・降水量・積雪・風向・風力の観測を行う。昭和40年まで) |
1927 | 昭和2年 | 5月 | 志津川実科高等女学校が新校舎に移転 |
1927 | 昭和2年 | 6月 | 佐藤子泉の句碑が水尻川畔に建つ |
1927 | 昭和2年 | 6月 | 久保田庄治郎、大森海岸埋立工事完成、8741坪 |
1927 | 昭和2年 | 8月 | 三陸鉄道建設促進へ、本吉郡有志上京運動 |
1927 | 昭和2年 | 8月 | 繭価下落、1貫目3円50銭~4円 |
1928 | 昭和3年 | 4月 | 志津川−米谷間定期自動車増発(5往復) |
1928 | 昭和3年 | 11月 | 県工事にて八幡川両岸に石張砂防工事をおこなう |
1928 | 昭和3年 | 11月 | 志津川・戸倉・入谷の3校連合運動会を松原公園でおこなう |
1928 | 昭和3年 | * | この頃、水戸辺でカキ養殖組合を組織する |
1928 | 昭和3年 | * | 佐藤貞十郎、勝倉兵三郎、佐藤利惣治が大森海岸に初めて海苔柴を立てる |
1928 | 昭和3年 | * | 細浦で、大森丈太夫・大森源六・及川新蔵・安部三之丞・菅原養蔵が海苔養殖 |
1929 | 昭和4年 | 11月 | 志津川座舞台開き |
1929 | 昭和4年 | * | この頃、細浦でいかだ方式によるカキの養殖試験操業(佐藤忠治指導) |
1930 | 昭和5年 | 3月 | 志津川消防組、自動車ポンプ購入 |
1930 | 昭和5年 | 8月 | 東北十景・海岸の部で志津川湾が第1位当選(河北新報社主催。東北の代表的新風景を投票によって選定。志津川の得票数16万6281票。第2位は高田松原。) |
1930 | 昭和5年 | 9月 | 惣内山が農林省映画「草刈小唄」のロケ地となる。「草刈小唄」つくられる。 |
1930 | 昭和5年 | * | 入谷村で腸チフス流行、患者延べ238人(昭和6~8年にも流行) |
1931 | 昭和6年 | 4月 | 志津川実業補習学校を志津川公民学校と改称 |
1931 | 昭和6年 | 4月 | 入谷婦人会創立 |
1932 | 昭和7年 | 4月 | 旭製糸株式会社創立50周年記念式典を挙げる |
1932 | 昭和7年 | 5月 | 入谷村養蚕実行組合設立 |
1932 | 昭和7年 | * | 入谷村林道八十峠線起工 |
1932 | 昭和7年 | * | 「鮭川小唄」作られる |
1932 | 昭和7年 | * | 大森崎と荒島をつなぐ防波堤工事始まる(志津川湾の外港設定を主眼とし、津波災害の防止、海苔・カキの養殖等を図るため。) |
1933 | 昭和8年 | 2月 | 潮見橋落成 |
1933 | 昭和8年 | 3月 | 三陸大津波、死傷者22人・流失家屋7戸 |
1933 | 昭和8年 | 4月 | 天皇の御名代、大金侍従津波見舞のため来町 |
1933 | 昭和8年 | 4月 | 入谷村消防組設立(組員60人) |
1933 | 昭和8年 | * | 入谷村内横断線起工 |
1934 | 昭和9年 | * | この年冷害、大凶作。入谷村は平均2分作以下となる。 |
1935 | 昭和10年 | 11月 | 戸倉小学校新築校舎落成 |
1936 | 昭和11年 | 11月 | 志津川漁港修築工事始まる(総工費23万円予定で着手、その後11万6000円を増額し、係船岸壁、防波堤、船引場等を整備) |
1937 | 昭和12年 | 5月 | 志津川大火。小学校・郵便局・警察署等336戸焼失、罹災者1500人以上 |
1937 | 昭和12年 | 7月 | 旭製糸株式会社解散 |
1937 | 昭和12年 | * | 荒島防波堤竣工(延長271m、幅4m、工費12万円) |
1938 | 昭和13年 | 7月 | 志津川町国民健康保険組合設立 |
1939 | 昭和14年 | 2月 | 戸倉折立大火、焼失32戸、罹災者183人 |
1939 | 昭和14年 | 4月 | 青年学校令改正 |
1940 | 昭和15年 | 7月 | 志津川小学校新築落成 |
1940 | 昭和15年 | 10月 | 志津川大火後の都市計画・区画整理事業に着手 |
1940 | 昭和15年 | 10月 | 米の配給始まる |
1941 | 昭和16年 | 4月 | 志津川魚市場会社設立、開設権は志津川町 |
1941 | 昭和16年 | 4月 | 国民学校発足 |
1941 | 昭和16年 | 10月 | 志津川町森林組合設立 |
1942 | 昭和17年 | 4月 | 戸倉滝浜大火、焼失18戸 |
1942 | 昭和17年 | 7月 | 本吉地方事務所を元郡役所庁舎に設置 |
1943 | 昭和18年 | 1月 | 入谷村森林組合設立 |
1943 | 昭和18年 | 4月 | 志津川実科高等女学校を「町立志津川高等女学校」と改称 |
1944 | 昭和19年 | 6月 | 志津川漁業会設立 |
1944 | 昭和19年 | 6月 | 戸倉漁業会設立 |
1944 | 昭和19年 | * | 志津川冷凍製氷株式会社創立 |
1944 | 昭和19年 | * | 各産業組合・農会が廃止・統合され、「志津川町農業会」が発足 |
1945 | 昭和20年 | 8月 | 10日、八幡川河口付近、米軍機の空襲を受ける。死者1人、負傷者2人 |
1945 | 昭和20年 | 11月 | 志津川漁港修築工事竣工 |
1946 | 昭和21年 | 8月 | 志津川漁業会、志津川魚市場が合併 |
1946 | 昭和21年 | 10月 | 三陸鉄道促進期成同盟会が陳情請願 |
1946 | 昭和21年 | 10月 | 志津川芸能文化協会発足 |
1946 | 昭和21年 | * | 双苗農場着手 |
1947 | 昭和22年 | 4月 | 新制志津川中学校・戸倉中学校・入谷中学校開設 |
1947 | 昭和22年 | 4月 | 公選第1回町村長選挙。志津川町長・田中完義、戸倉村長・佐々木善三郎、入谷村長・松野孝一当選 |
1947 | 昭和22年 | 6月 | 志津川公民館開設 |
1948 | 昭和23年 | 1月 | 志津川簡易裁判所開庁 |
1948 | 昭和23年 | 4月 | 町立志津川高等女学校が「宮城県志津川高等学校」となり開校 |
1948 | 昭和23年 | 9月 | 交通協会志津川支部発足 |
1948 | 昭和23年 | 11月 | 県教委事務局本吉出張所設置 |
1949 | 昭和24年 | * | 志津川税務署廃止 |
1950 | 昭和25年 | 1月 | 本吉郡誌出版 |
1950 | 昭和25年 | 5月 | 志津川中学校新築落成 |
1950 | 昭和25年 | 5月 | 入谷中学校落成式 |
1951 | 昭和26年 | 9月 | 荒砥分校新築落成 |
1951 | 昭和26年 | 10月 | イワシ連日4~5千貫水揚げ |
1951 | 昭和26年 | 11月 | 第1回本吉産業振興共進会、志津川町で開催 |
1952 | 昭和27年 | 3月 | 十勝沖地震、津波あり |
1952 | 昭和27年 | 4月 | 荒砥・清水両分校独立開校式 |
1952 | 昭和27年 | 7月 | 荒砥電話開通(工事費53万円) |
1952 | 昭和27年 | * | 細浦で日本最初とされる魚竜化石発見 |
1953 | 昭和28年 | 2月 | 長清水火災、10戸焼失 |
1953 | 昭和28年 | 5月 | 志津川愛鳥会誕生(会長・田中完一) |
1953 | 昭和28年 | 9月 | 1町3カ村国保直営組合病院新築落成 |
1953 | 昭和28年 | 12月 | 戸倉中学校新築落成 |
1954 | 昭和29年 | 5月 | 入谷郵便局、電話架設工事完了 |
1954 | 昭和29年 | 9月 | 簡易水道工事完成通水式 |
1954 | 昭和29年 | 12月 | 大火後の都市計画による土地区画整理事業の換地処分完了 |
1955 | 昭和30年 | 3月 | 志津川町・戸倉村・入谷村が合併し、「志津川町」誕生。人口1万8316人、戸数2945戸 |
1955 | 昭和30年 | 3月 | 荒沢神社の太郎坊杉が県指定天然記念物となる |
1955 | 昭和30年 | 4月 | 林際小学校新築、独立開校式 |
1955 | 昭和30年 | 8月 | 志津川町体育協会結成 |
1955 | 昭和30年 | 9月 | 入谷生産販売農協組合結成 |
1955 | 昭和30年 | 10月 | 志津川町納税組合結成 |
1955 | 昭和30年 | 12月 | 志津川町社会福祉協議会結成大会 |
登録日: 2012年12月12日 /
更新日: 2012年12月12日