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しづがわたいかのさんじょう
志津川大火の惨状

志津川大火の惨状

 人が火を生活に利用するようになってから、火事は必ず起きるようになりました。明治以降の災害の記録を見ても町内で10戸以上の焼失となった大火は13回あります。
 中でも、昭和12年(1937)の志津川大火は焼失家屋336戸、り災者1500名以上を出した大災害でした。
 昭和12年5月4日午前2時50分ごろ、五日町の銭湯を火元にした火災は目抜き通りだった五日町と十日町の大半を焼き尽くして午前6時ごろ鎮火しました。折からの強い西風にあおられた上、当時の一般家屋は板葺や杉皮葺であったことも災いしました。

【「志津川町誌」使用写真より】

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