金網の前に立つ四角柱の石碑で、縦書きの文字が刻まれているが風化しており、一部が読み取りにくくなっている昭和八年津波境碑の写真

 昭和8年(1933年)3月3日午前2時30分頃、三陸のはるか沖合で発生した地震は、その30分後津波となって南三陸町に到達しました。町内での被害は歌津村で86名の死者が出たものの、志津川や戸倉村ではほとんど犠牲者を出さずに済みました。被害が大きかったのは外洋に面した馬場・石浜・田の浦などの地区で、家屋の流出や死者もこの地域に集中しています。戸倉地域では死者こそ1名でしたが、40戸の家屋被害がありました。この碑は、津波がここまで到達したことを示すことで地震の際に津波を思い起こすように建てられたものです。

【2006年09月05日撮影】