
歌津払川から田束山の西側を廻って本吉町馬籠方面へ抜ける道で、次に紹介する磯の沢道と併せて、平泉藤原時代には志津川湾方面へと抜ける重要な往還道だったと考えられています。また、払川はその名の示すとおり田束山登拝にあたっての禊(みぞぎ)の地だったらしく、四方からの道の結節点となっており、信仰の集落として賑わったことが想像されます。【2006年6月29日撮影】
更新日:2025年12月01日

歌津払川から田束山の西側を廻って本吉町馬籠方面へ抜ける道で、次に紹介する磯の沢道と併せて、平泉藤原時代には志津川湾方面へと抜ける重要な往還道だったと考えられています。また、払川はその名の示すとおり田束山登拝にあたっての禊(みぞぎ)の地だったらしく、四方からの道の結節点となっており、信仰の集落として賑わったことが想像されます。【2006年6月29日撮影】