
掘り跡からの排水路として築かれたらしい石組みの残る水路跡(石組は最近積み直したものかも知れませんが…)で、「入谷古今集」に「悪水の堰」と記されているものです。途中、沢の上縁を走り抜けており、その沢にも掘り跡が見られることから、水流調整のための分水路かもしれません。最後は重海壇の脇を抜けて葦原用水と合流します。 【2006年2月28日撮影】
更新日:2025年12月01日

掘り跡からの排水路として築かれたらしい石組みの残る水路跡(石組は最近積み直したものかも知れませんが…)で、「入谷古今集」に「悪水の堰」と記されているものです。途中、沢の上縁を走り抜けており、その沢にも掘り跡が見られることから、水流調整のための分水路かもしれません。最後は重海壇の脇を抜けて葦原用水と合流します。 【2006年2月28日撮影】