
谷老堰(童子用水とも)の終点にある大規模な掘り跡で、童子山の南東尾根を延々200メートルもえぐり取って沢状にしてしまっています。風化してもろくなった露頭を掘り崩したものと思われ、土金掘りと岩金掘りの中間的な性格の掘り跡と考えられます。掘り跡上部には堤が築かれ水が溜められていたようです。「入谷千軒」時に300軒の鉱山町をなしていたとされる「おもて町」のすぐそばです。 【2006年2月28日撮影】
更新日:2025年12月01日

谷老堰(童子用水とも)の終点にある大規模な掘り跡で、童子山の南東尾根を延々200メートルもえぐり取って沢状にしてしまっています。風化してもろくなった露頭を掘り崩したものと思われ、土金掘りと岩金掘りの中間的な性格の掘り跡と考えられます。掘り跡上部には堤が築かれ水が溜められていたようです。「入谷千軒」時に300軒の鉱山町をなしていたとされる「おもて町」のすぐそばです。 【2006年2月28日撮影】