木々が葉を落とした冬の山の斜面に雪がまだらに残り、段々畑の跡のような段差が続いている谷老堰の写真

 「入谷千軒」と呼ばれるゴールドラッシュがいつ起きたのか正確には分かりませんが、「入谷安部物語」によると、貞和・貞治の頃(1345~1368)には非常に盛んで、数度にわたる繁栄の後、寛永期(1624~1644)以降、急激に衰退したようです。最後のラッシュは北の弥惣峠から延々数キロもの水路を引いて童子山腹の金山開発を可能にすることで実現したようですが、この工事は相当難航したようで、上流側3分の1ほどは現在でも写真のとおり上下二段の水路跡が並走しているのを見ることができます。「谷老童子」の伝説を信じるなら、上の水路が童子の歩いた跡ということになります。
【2005年3月16日撮影】