
入谷押館地区と中の町地区とを南北に隔てる尾根上にある館跡で、桵葉川流域と八幡川流域の両方を眼下に見下ろすことができます。「安永書出」では「御館主相知不申」とありますが、地元では阿部周防の居館と伝えています。空掘や土塁、方形に廻らされた土段など、小さいながらも整ったつくりをしています。ここの館主は強弓の使い手だったといい、別名「遠矢ヶ森館」とも呼ばれます。 【2006年03月03日撮影】
更新日:2025年12月01日

入谷押館地区と中の町地区とを南北に隔てる尾根上にある館跡で、桵葉川流域と八幡川流域の両方を眼下に見下ろすことができます。「安永書出」では「御館主相知不申」とありますが、地元では阿部周防の居館と伝えています。空掘や土塁、方形に廻らされた土段など、小さいながらも整ったつくりをしています。ここの館主は強弓の使い手だったといい、別名「遠矢ヶ森館」とも呼ばれます。 【2006年03月03日撮影】