
入谷大船沢の奥、沢内地区に残る町内最大の板碑密集地です。なんらかの文字が読み取れるものだけで76基あり、周辺にはもっと多くの板碑が埋もれている可能性があります。紀年銘のあるものは12基で、応永10年(1403年)から宝徳2年(1450年)と、町内の他の地域と比べて新しめです。サイズも小さく、権力者が建てたというよりは、技術をもった人々が自らのために刻んだといった趣きで、金山衆の居住地だった可能性が指摘されています。【2004年08月10日撮影】
更新日:2025年12月01日

入谷大船沢の奥、沢内地区に残る町内最大の板碑密集地です。なんらかの文字が読み取れるものだけで76基あり、周辺にはもっと多くの板碑が埋もれている可能性があります。紀年銘のあるものは12基で、応永10年(1403年)から宝徳2年(1450年)と、町内の他の地域と比べて新しめです。サイズも小さく、権力者が建てたというよりは、技術をもった人々が自らのために刻んだといった趣きで、金山衆の居住地だった可能性が指摘されています。【2004年08月10日撮影】