「満海上人壇」と書かれた標柱と説明書きが記載された看板のそばに立てられた石碑の写真

 田束山から尾根続きに南西一キロほどの峰を「満海山」と呼び、その山頂の塚が「満海上人の入定の地」と伝えられています。伝説によると、満海上人は天正年間(1573年~1592年)気仙沼松崎に生まれ、弥勒菩薩に深く帰依し、自ら即身仏(ミイラ仏)となるため入定したのだと伝えられています。また一説には、田束山がキリシタンの焼き討ちにあって荒廃の危機にあったときに、切支丹退散を念じて入定したのだとも伝えられています。