
大雄寺は平泉藤原秀衡の四男、本吉四郎冠者高衡によって開基され、中世葛西時代にこの地を領した元良氏の菩提寺として再興されたと伝えられています。鐘楼を含む山門は、宝暦元(1751)年に入谷の山内甚之丞によって寄進されたもので、町内に現存する建物としてはもっとも古いもののひとつです。大雄寺には他にも、地獄絵や間引き絵馬、キリシタン禁制の制札など、藩政時代の貴重な資料が数多く残されています。
更新日:2025年12月01日

大雄寺は平泉藤原秀衡の四男、本吉四郎冠者高衡によって開基され、中世葛西時代にこの地を領した元良氏の菩提寺として再興されたと伝えられています。鐘楼を含む山門は、宝暦元(1751)年に入谷の山内甚之丞によって寄進されたもので、町内に現存する建物としてはもっとも古いもののひとつです。大雄寺には他にも、地獄絵や間引き絵馬、キリシタン禁制の制札など、藩政時代の貴重な資料が数多く残されています。