畳の部屋で、コタツで暖まりながら年配の男性が若い4人の女性たちに昔の写真を見せながら楽しそうに語り合っている様子の写真

南三陸の「暮らし」を体験する民泊

海もあって、山もある。自然の営みに身を委ねながら、背伸びせず、穏やかな暮らしを営む。

そうした南三陸町の普段の暮らし・生活を体験できるのが「民泊体験学習」です。家事や仕事を手伝いながら、寝食を共にする。たった数日間という限られた時のなかで、まるで本当の親子のような繋がりが育まれています。

今回は、南三陸町の観光交流において、重要な役割を担う「民泊体験学習」について、南三陸町観光協会の末松知華さんに話を伺いました。

南三陸町の民泊の歴史

ー南三陸町での民泊のスタートはいつ頃だったのでしょうか?

2000年代半ばから、志津川にて県内の中学生を中心に受け入れが始まったようです。その経緯も行政主導で企画して、町民にお願いしていたというわけではなく、町民有志のみなさんが中心となって始まったとのことです。

ー住民の自発的な活動として民泊が始まったのですね。

そうなんです。他市町村で民泊をコーディネートしている方にも「南三陸町は住民が積極的でうらやましい!」という声をかけていただくことが多いんです。住民が主体的に活動に参加をしてくれていることの背景には、南三陸町の民泊の幕開けの歴史があって、それが今もなお、受け継がれているんだなと実感します。

ーそうしたなか東日本大震災で南三陸町は大きな被害を受けました。

東日本大震災は民泊家庭にも大きな被害をもたらしました。その影響もあり、震災後は一時受け入れを中止。しかし、町民の協力もあり2013年に民泊を再開しました。2校25名で再開した民泊は、中・高・大学生を中心に、2015年にはのべ499名、2016年は10月末時点でのべ1121名を受け入れており、その数は年々飛躍的に伸びています。

ー民泊家庭はどのような方々がいらっしゃるのでしょうか?

現在、50軒ほどの家庭に民泊の登録をしてもらっています。内陸部の山里にある古民家から、高台造成地に再建した家庭までさまざま。地元の老夫婦から震災後移住してきた若夫婦まで、受け入れる町民も多様になってきました。現在は、一度に120名ほどを受け入れることが可能な体制になっています。

和風の家の中で地元の年配の人たち4人が並び、向かい合って立つ白いシャツを着た代表の女性が丁寧に挨拶をしている対面の場面の写真

(写真提供:南三陸町観光協会)

震災学習や外国人受け入れのニーズに応える

ー震災後の民泊受け入れが飛躍的に増加しているのは、なにか理由があるのでしょうか?

この増加の理由としては、民泊を通じて「震災学習」を行いたいという、教育機関や団体さんの要望の増加があげられます。地震や津波だけでなく、台風や土砂災害などどこにいても自然災害の危険があるなかで、防災減災の意識は高まっていることを実感します。

「各家庭で震災の話をしてほしい」といった要望にも、可能な限り応えられるように、家庭と学校さんなどの要望のすり合わせやマッチングも重視しています。

林道の脇で青いジャージ姿の4人の男子生徒たちが麦わら帽子を被った男性と協力し、ロープをかけたで丸太を引っ張りながら作業している様子の写真

各家庭での仕事体験で南三陸での暮らしを体感(写真提供:南三陸町観光協会)

ーさらに復興支援のなかで縁の深い台湾の学生さんも民泊で訪れたことが話題になっていましたね。

そうなんです。とくにこの2年間は外国人の方の受け入れが増加しているのが大きな特徴です。昨年と今年で270名を超える方が海外から南三陸町に訪れ、民泊を経験しています。民泊を受け入れるお母さん方も慣れたもの。「言葉が通じなくてもなんか伝わってる!」って、異文化交流を楽しんでいるようですよ。

と言っても、しっかりと意思疎通を図ることも大切ですよね。そのために、今年の夏に観光協会にインターンしていた台湾の学生が制作した、日中英の指差し会話帳も各家庭に配布しています。日常会話から南三陸の紹介、トラブル時の対応など活躍しています。

外国人の受け入れという抵抗感が和らいできたこともり、南三陸町と縁の深い台湾の学生のみなさんや、宮城県内の留学生の方が「日本の暮らし体験」として利用してくださっています。

家族や趣味に関する日本語・英語・中国語の単語とイラストが載った語学学習用の教材の見開きページの写真

住民の集落を超えたつながりを生み、スキルアップにも

ー民泊を通じて、町民のみなさんに変化は見られましたか?

町民同士の横のつながりが生まれてきたなって感じています。近隣地域で住んでいても行政区が異なるために見ず知らずの関係だった家庭が、民泊の対面式などを通じて知り合い、積極的に情報交換などをしている光景がよくみられます。お別れ会のあとは、お母さんたちが集まって井戸端会議。さっそく反省会をしているみたいですよ。

ーお母さん同士で学ぶことは多そうですね!

民泊家庭のお母さんを先生に「まゆ細工を作ってみよう」という講座を民泊家庭の勉強会で開催したりと、それぞれのもつ特技をシェアして受け入れのスキルアップにも取り組んでいます。

森を背景にした港で地元の人々が横断幕を持って手を振りながら、民泊体験学習に参加した外国人に感謝と再訪を呼びかけている写真

対面式やお別れ会は町民の貴重な交流の場でもあります(写真提供:南三陸町観光協会)

別れるときには、まるで本当の家族のように

ー民泊を体験した子どもたちの反応はいかがですか?

訪問先の家庭のみなさんと初めて会う対面式のときには、みんな緊張で顔がこわばっているんです。だけど、1日、2日して、お別れ式のとき車から降りるときにはみんなニコニコしてて、感極まって涙を抑えきれない子たちもいます。それくらい短い時間で、濃い関係になって、本当の家族のようになっているんですね。

私ももらい泣きをこらえるのに毎回必死ですよ(笑)。

ーここで育まれた交流がずっと続いていくこともあるんですね。

台湾で地震があったときはすぐに連絡を取り合ったり、逆もしかり。昔、民泊を体験していた子どもが大人になって結婚をする際に、受け入れをした家族が披露宴に招待されたという話もあるほどです。民泊というのは、子どもにとってそれほどの一生の想い出となる、かけがえのない時間なんですね。

ーそんなすてきな民泊体験。これからの目標はありますか?

「南三陸町で民泊したい」って思ってもらいたいですね。子どもたちはもちろん、学校側の要望などもお母さんたちに伝えて満足度を高めていき、繰り返し来ていただけるような関係にしていくことが目標です。

お別れの場面で年配の女性が泣いている女子学生を抱きしめて慰めている感動的な別れのシーンの写真

(写真提供:南三陸町観光協会)

南三陸らしい民泊とは

海も山も豊かな南三陸町は、受け入れる家庭も個性豊か。それぞれの生業も、漁業、農業、林業、商業とさまざまです。そうした多様なくらしを体験できるフィールドが南三陸にはあります。この町に育まれてきた「おもてなし」文化、そして「よそ者」に対してオープンな風土が南三陸町の民泊を唯一無二の体験に導いてくれることでしょう。

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