青く澄んだ海と山々を背景にした屋外の広場で、赤いカーペットの上でスーツ姿の2人の男性が柵に囲まれたモアイ像の前で握手を交わしている写真

7月29日(土曜日)に新しくオープンした「うみべの広場」には、南三陸町の復興のシンボルでもあるモアイ像が移設されています。1960年(昭和35年)のチリ地震から30年後に寄贈されたモアイ像と東日本大震災後に門外不出だったイースター島の石を使って作られたモアイ像。新旧2体のモアイ像が永住の地で並び立ち町の発展を見守る新名所が誕生しました。

津波とモアイによって結ばれた60年以上に渡るチリと南三陸の絆

南三陸町から太平洋を挟んで地球の反対側にある南米のチリとは「地震」「津波」によって結ばれた縁があります。1960年(昭和35年)に発生したチリ地震で日本列島太平洋沿岸に津波が襲来し、町民41名が犠牲となる大きな被害となりました。当時の壊滅的な被害から共に復興を目指した友好の証を後世に伝えるため、1990年(平成2年)には国鳥コンドルの碑がチリ共和国から贈られ、また、1991年(平成3年)にはチリ人の彫刻家によりモアイ像が制作され松原公園に設置されていました。

しかし、2011年(平成23年)に発生した東日本大震災の津波によりモアイは流出。瓦礫の中から発見されたモアイ像は、モアイを活用した取り組みを行ってきた南三陸高校(旧志津川高校)の敷地内に一時移設されました。

校舎に囲まれた中庭に大きなモアイ像が設置されており、像の周囲には花が植えられたプランターや白い小石が並べられている写真

東日本大震災の津波で流出し、志津川高校の敷地内に移設されたモアイ像の頭部

この取り組みを知ったチリ政府関係者とイースター島の長老が門外不出のイースター島の石を使ったモアイ像を制作することを決意。そして2013年(平成25年)5月イースター島の石を使った本物のモアイ像が約17,000キロメートルの距離を旅して、南三陸の地に降り立ちました。

これまでイースター島の石を使い彫られたモアイ像が島外に出たことはなく、また眼が入ったモアイは世界に2体しかないため、非常に貴重なものとなっています。

青空の下、柵に囲まれた台座の上に目と帽子がついた大きなモアイ像が立ち、手前にはベンチと黒い看板、そして注意書きや解説板が並んでいる写真

未曾有の震災からいち早く立ち直った象徴でもあり、全国からのボランティアが集う場所でもあった、仮設のさんさん商店街。そして2018年(平成30年)からは復興そして賑わいの象徴でもある本設の南三陸さんさん商店街にて南三陸の復興を見届けてきました。

さんさん商店街から歩いてすぐ!志津川湾を望む「うみべの広場」

青空の下、乾いた草が混じる広い芝生の広場の向こうに海が広がり、さらにその奥に山々が見える写真

今回、南三陸高校にあったモアイ像と南三陸さんさん商店街にあったモアイ像の2体が移設されたのは、さんさん商店街から海側へ300メートルほどの距離に整備された「うみべの広場」です。

しおさい通りの一角にある広場は芝生エリアを囲むように舗装され、キッチンカーやテントを設置したイベント利用も想定されています。約5100平方メートルで、周辺には新たに駐車場も複数設置。トイレ、休憩スペースの東屋が設置されています。

青空の下、芝生の広場に面した木造の建物があり、右側の屋根付きベンチに数人が座っている写真

東日本大震災で壊滅した志津川地区の復興計画における、隈研吾さんがデザインした志津川地区グランドデザインで重要なキーワードとなっているのは「回遊性」。コンパクトでウォーカブル、そしてサステナブルなエリアを意識した観光交流エリアの最後の仕上げがこの「うみべの広場」となりました。

さんさん商店街を抜けるとしおさい通りがあって、その先にモアイ像2体があるうみべの広場。さらに、八幡川を挟んだ東西が中橋によってつながることで復興祈念公園との回遊性が生まれることが期待されます。

復興事業における最後のテープカット

7月29日に「うみべの広場」オープニングセレモニーと移設されたモアイ像2体のお披露目の除幕式が執り行われました。

青空の下、海と山を背景に赤いカーペットが敷かれた広場でモアイ像の前に複数の人々が並び、『うみべの広場オープニングセレモニー』の看板の前でテープカットをしている写真

この公園のオープンをもって志津川地区のグランドデザインも完遂。

「震災以降、何度も何度もテープカットを行ってきたが、今回のオープニングセレモニーで復興事業の最後のテープカットになった。12年半かかったが南三陸町の復興事業がすべて終了したことになるので感慨ひとしお」と佐藤仁町長は語りました。

晴れた屋外で赤いリボンと白い布で覆われたモニュメントの前で黒いスーツを着た男性が演台に立ち、マイクを使って式典の挨拶をしている写真

「モアイ像は、逆境に直面した両国民の立ち上がる力、復興力、回復力と意欲をたたえ、深い友情と連帯の絆の証」と話すのは駐日チリ大使館のルイス・パルマ臨時代理大使。2022年(令和4年)末に発生したイースター島の火災によって被害を受けたモアイの復旧作業に、旧志津川高校の生徒が集めた募金が使われたことなどに感謝を伝えたうえで「これまで60年以上の歴史がある南三陸町とチリの歴史にとって新たな一歩となる一日」と述べました。

白い布に赤い紐がかけられたモニュメントの前で青いスーツに黄緑のネクタイを着けた男性が演台の前でマイクに向かって話している、晴天の記念式典の写真

モアイサークルやイースター島火災の際に募金活動を展開するなどモアイと関わりの深かった南三陸高校の佐藤華那さんは「モアイ像はこの町になくてはならない、かけがえのない存在。これからはうみべの広場から町の成長を願うとともに、チリとの友好の架け橋としていつまでも見守っていてほしい」と願いを話しました。

赤白のリボンで飾られた柵や白布に包まれたモニュメントの一部が見える前で、眼鏡をかけた若い女性が水色のシャツにネクタイ姿で演台に立ち、マイクで話している屋外での記念式典の写真

震災前に旧志津川町そして南三陸町の繁栄を見守ってきた初代モアイ像。そして未曾有の大震災から立ち上がり奮闘する町の人々を見守り勇気づけてきた2代目のモアイ像。今、新旧のモアイ像が並び立ち、志津川湾・太平洋を背に町の発展繁栄を見守り続けます。

「祝 うみべの広場オープニングセレモニー」と書かれた看板の前でスーツ姿の大人たちと制服姿の学生たち約40人が赤い絨毯の上で並んで記念撮影した写真
海沿いの広場に設置されたふたつのモアイ像が茶色い柵の内側に並び、前にはピンク色の説明看板がある晴天の屋外展示の写真

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