「南三陸ながた接骨院」と書かれた白い建物の前で長田滉平さんが青い施術着を着て笑顔で正面を向いて立っている写真

南三陸町の志津川地区で念願だった接骨院を今冬開院した長田滉平さん。地元でもある志津川に帰ってくるまでの様々な場所での経験と、町への思いをお聞きしました。

きっかけは高校の先生の一言

「久しぶり!なんか緊張するなぁ」午前の診療を終えた長田さんにオープンしたばかりの真新しい院内にてインタビューを行いました。

院内の一角に観葉植物や胡蝶蘭など多数の祝い花が並べられており、花に添えられた札には関係者の名前と祝辞が書かれている写真

友人や企業からのお祝いのお花。画面外にもたくさんのお花が届けられていました

29歳の若さで南三陸ながた接骨院を開業した長田滉平さん。志津川地区出身で小学生時代から野球に明け暮れ、たくさんの友人たちと学校生活を送っていました。そんな思い出深い地元での開業について長田さんに話を伺いました。

―接骨院ということですが具体的にどのような職業か、簡単に教えてください

「柔道整復師と言う国家資格を専門学校に通って取得しました。急性の怪我(骨折・脱臼・捻挫・打撲・挫傷)などはうちの得意分野になります」

―いつ頃からなりたいと考えていたか覚えていますか?

「最初はスポーツトレーナーになりたいと思っていました。小学校から高校まで野球をやっていたのが一番大きくて、その影響でスポーツに携わった仕事がしたいなと。変えるきっかけをくれたのは当時の高校の担任の先生でした」

泥だらけのユニフォーム姿の高校野球チームの少年たちが試合後に笑顔でポーズを決めており、団結力や青春の一コマを感じさせる写真

志津川高校野球時代の長田さん(写真中央)

「その先生から『スポーツトレーナーの国家資格取れるのも一握り、自分の開業権を持てる柔道整復師っていうのがあるんだけど目指してみないか?』って紹介されたんです。それが接骨院の先生だというのは分かっていました。ただ、国家資格が云々っていうのが分からなくて。安易な考えだけど部活動に携わったりしてみたいなと思っていました。でも、スポーツトレーナーは資格を持っていて、その上でトレーナーになっている。結果的に先生から『スポーツトレーナーになるってその学校行ったとしても、また欲しくなるよ?柔道整復師には時間もお金も掛かるけど、頑張ってみたら?』と言われたことで、合格していた学校ではなくて、資格が取れる専門学校を選ぶことにしました」

―合格した後にさらに受験したのですね。そちらに進んでみてどうでした?

「やっているうちに、身体の勉強をするのが楽しくなりました。人間の身体の仕組みや解剖学、骨や筋肉の仕組みを学べるのは面白かったですね。そこから治療科になっていこうかなと、どんどん気持ちが高まっていったって感じでした」

若い男性たちが私服姿で肩を組んで笑い合っており、プライベートの楽しい時間を過ごしている様子の写真

専門学校時代の長田さん(写真左)

積み上げる時間と経験の先にあるもの

―専門学校を卒業してからはどちらで働き始めましたか?

「資格も運よく一発で取ることが出来たので、最初は志津川の接骨院で3年働きました。働いているうちに色々勉強したくなってきたので他2院を渡り歩き、スポーツと介護について学ぶことが出来たので、結果的にそれぞれの接骨院の良い所取りをすることで本当に勉強になりました。これがどこか一つだけだったらまだ自分の院を開いてなかったと思います」

施術着を着た長田さんが室内で患者の腕を丁寧に持ち上げながら状態を確認しており、明るい治療室の中で真剣に施術を行う様子の写真

果敢にチャレンジを続けてきた長田さんの施術は学生から高齢者まで幅広く対応できる

この町で開院する意味

模索しながらも探究心と好奇心を忘れずに、チャレンジを続けてきた長田さん。開業場所を志津川にしたことの意味を伺うと

「う〜ん、家から近いからですかね。いや冗談ですよ」と笑った後に少し照れくさそうに
「でも一択でした。地元の人たちに貢献できるようにって。それだけです」

「飾ったあれはないけども…」と前置きをした上で「地元の人たちが好きで、海とか山の人たちが多いじゃないですか。それがなくなってくるとこの町って今と違くなるんじゃないかと。だから、その人たちがしっかり働けるように、中間じゃないですが俺みたいな職業って必要と言えば必要かなと。町の人たちの働き方を見ていたら、この町でやっていきたいなって思いました」
自分のもつ技術を、思い入れのある故郷で生かすことを選択した長田さん。

「他の町の方からも土地あるよと声をかけられていたけれど、どっちかって言ったら身近な人たちの方が好きだし、昔から育った町の人に貢献したいなと。町のために働いている人たちや頑張っている学生、おじいちゃんおばあちゃん達の健康寿命ちょっとでも上げればもっと町が活発になるかなと」

とはいえ30歳手前で開業するというのもこの町では中々珍しいこと。そこまでの思い切った決断が出来た要因はなんだったのか。

「自分より先に帰ってきてお店開いたり、自営で海仕事をしている友達や先輩達に刺激されましたね。それに、若いからか周りの人にとても喜ばれました。今どっちかっていうと町の中心は50~60代でその後がいないってよく言うじゃないですか、そこを何とかしないと町が終わっちゃうともね。何が良いんだろうね、何があったらみんな戻ってくるんだろうね」

長田さんはこれからの町を見据えて何が出来るのか、刺激的な環境にいながらもそれがより良くなるように出来ることを模索していました。

「俺はこの施設を患者さんを治したいって思いで開いたけど、片隅には町のことはありますね」

院内の一角にあるベビーベッドに赤ちゃんが毛布をかけて静かに眠っている写真

産後のお母さんでも安心して通ってもらえるようサポートは万全に。

奮い立たせる、支えてくれる友達の存在

今回の開業にもたくさんの友達に力を貸してもらっていました。

「帰ってきてこれから町で頑張りたいって友達にホームページや名刺なんかも手伝ってもらいましたし、これからもそうやってみんなで頑張れたら良いですよね。町を離れて頑張っている友達にも、負けていられないっていうのも強いかな」

黒と黄色のユニフォームを着た草野球チーム「DOLPHINS」のメンバーたちがグラウンドのベンチ前で笑顔でポーズをとっている集合写真

学生時代のチームメイトと社会人になった今も白球を追いかける

学生時代から今に至るまで、前を走るたくさんの背中と横に並んで走ってくれる友人に
支えられてきた長田さん。故郷南三陸の地でどのようなプレーを魅せてくれるのか。
町民を支える若き院長の活躍に期待したい。

写真提供:山内秀斗さん(合同会社リトレ)、長田さん

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