木の机の上に、それぞれ異なるイラストや写真がデザインされている「彩」という文字が表紙に大きく書かれた冊子が5冊重ねて並べられている写真

今回はちょっと懐かしい話題。
皆さんはこんな小冊子をご覧になったことはありますか?

木の机の上に、それぞれ異なるイラストや写真がデザインされている「彩」という文字が表紙に大きく書かれた冊子が5冊重ねて並べられている写真

『南三陸はなすかだり-彩(あや)-』はかつて町内で発行されていたミニコミ誌です。
編集長の太齋京子さんにお話を伺うことができました。

室内で黄色のシャツと紺色のカーディガンを着た女性が、カメラに向かって優しく微笑んでいる写真

三重県出身の京子さんは十数年前、ご主人のお仕事の都合で南三陸(当時は志津川町)へ移住されました。
いざ新しい暮らしに馴染もう、とされた時、「町の情報誌があったらいいのに」と思われたそうです。

「まだSNSも発達していない時代だったんですね。
 そもそもネット環境を持っている方が多くなくて、情報を集めたり、広めたりするには紙媒体しかないなーと思ったんです。」

京子さんは育児の合間に執筆・営業活動を始めました。
おらほのまちづくり支援事業の助成を受け2007年9月、ミニコミ誌『彩』が誕生しました。
ページを開けば町民コラムに取材記事、小欄のイベント案内。
添えられた写真に当時の南三陸が思い起こされます。

文集『彩』が開かれて机の上に置かれており、写真と一緒に文章が綴られ印刷されている写真

「創刊号の発行部数は500部です。
 町内の商店に置いてもらい、一部300円で販売しました。
 その売り上げで次の号を出すことができました。」

『彩』はその後、不定期ながらも4~5ヶ月ごとに発行。
読者から書き手になる方も現れ、徐々に内容も充実し創刊時12ページだった厚みは 2年後、最終号の5号が出る頃には倍に増えていました。

「ちょうど町内の小学校が相次いで閉校になった時期で、卒業生や教師の方の貴重な声を寄せてもらうことができました。
 あー、まめだんごマスコットだ。懐かしいなあ。
 私もママ友達と一緒に作ってたんですよ~。」

床の上に美しい風景や祭りの写真、文章が散りばめられている冊子のページが何枚も広げられている写真

当時の寄稿者の中には現在 地域のリーダーとして奮闘されている方、新天地で活躍されている方、4年前に帰らぬ人となった方もいます。

「ここに載っているものの多くが失われてしまいました。
 『彩』自体も、いま残っている冊数は少ないと思います。
 私の手元にあるのは少数のバックナンバーと入稿用ディスクのみです。」

京子さんは現在、NPO法人奏海の杜(かなみのもり)の理事長として活動されています。
『彩』の編集で培われた人脈と知識は今の助けになっているのだそうです。

「南三陸町ボランティアセンター」と書かれたベストを着た女性3人が、キャラクター「にこま~る」のイラストが描かれたマスコットなどのグッズを持って笑顔で並んでいる写真

(2015年3月15日ボランティア感謝の集い)

「この土地には独自の文化や考え方があります。
 他の土地から来た私に、『彩』は違いを押し付けず、否定せず、受け入れる、柳のような強さをくれました。
 また、“私もそうありたい”と思えるような南三陸の人々の丁寧な暮らし・生き方を知ることができました。」

『彩』には美しい町の姿が記録されていました。
その彩りは今読んでも褪せることなく、むしろ一層鮮やかに感じられました。

(日比谷)

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