荒沢神社(和光院)の由来や歴史、文化財に関する詳細が書かれている説明板の写真

本日は志津川の袖浜地区にある、荒沢神社境内に残る「太郎坊杉」をご紹介します。

まずは、荒沢神社からご紹介します。
荒沢神社は貞観年間(859年~877年)に大和国龍田神社より勧請され創建されました。
かつて荒沢神社は滝不動とよばれていました。
安永3年(1774年)「注釈:本吉郡南方荒砥浜風土記御用書出」には、不動堂との記載があり、村の総鎮主でした。
(注釈:本吉郡南方荒砥浜風土記御用書出とは、当時の本吉郡南方にある荒砥浜の村名の由来、男女別人口、家数、名所旧跡、寺社、産物、村境などの項目を書き上げた書物のこと。)

荒沢神社(和光院)の由来や歴史、文化財に関する詳細が書かれている説明板の写真
石段と社殿へ続く道が奥にあり、手前に立つ注連縄と紙垂がかけられた石鳥居の写真

(荒沢神社の鳥居)

鳥居を潜り進んでいくと、荒沢神社本殿が見えてきます。

石灯籠と小道が続く先に、注連縄が飾られた木造の社殿が森の中に建っている写真

(荒沢神社本殿)

それと同時に「太郎坊杉」と、よばれる御神木が目に入ってきました。

社殿の背後に立つ大きなご神木が見えるように、やや斜めから社殿を写した写真
社殿が建つ左側にある鬱蒼とした杉林の中に、一本だけ葉を落とした大きな御神木が立っている写真

この太郎坊杉は、樹齢がなんと800年以上、樹高42メートル、目通り幹囲8.5メートルもあるそうです。
今から約400年前の慶長14年、伊達藩では、仙台城下に大橋を架設するため良材を求めていました。
そのとき選ばれたのがこの荒沢神社の杉で、25本が切り出されました。
このとき御神木として残されたのが、この太郎坊杉と昭和33年の台風で倒木してしまった、次郎坊杉だそうです。

幹回りが太い大木の幹にしめ縄と紙垂が巻かれ、神聖な雰囲気が感じられる写真
上に向かって枝を広げたご神木が、森の中で力強くそびえ立っている様子を下から見上げて撮った写真

今回取材の為、20数年前の厄払いの時以来初めて訪れてみましたが、第一印象は思っていた以上に「太い・でかい」と感じました。
みなさんも、南三陸にお越しの際は、この太くてでかい太郎坊杉を、実感してみてはいかがでしょうか。

(遠藤)

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