
町内の学校では今週から2学期が始まりました。
もうすぐ9月。
たくさんの大切な命が失われた日から4年半になろうとしています。
彼や彼女がいたこと、その命を奪った大災害があったことを伝え続けるためいまなにができるでしょうか。
今回はナデシコの苗を作り続ける遠藤水華里(ゆかり)さんにお会いしました。
(水華里さんを以前ご紹介した記事はこちら)

もともとは町内でピアノ教師をなさっていた水華里さん。
2011年、津波によって志津川地区荒砥の自宅が被災し避難所生活を送ることとなりました。

(現在のご自宅。波は1階まで届いたそうです。)
震災から3か月後、初めて自宅に戻った水華里さんの見たものはガレキの山と化した庭とピンク色の花。
ピアノの教え子の一人、ヒサヨシくんからプレゼントされたナデシコの花でした。

(写真は2015年に咲いたナデシコ)
「ヒサヨシくんは現在も行方不明です。
まだ高校一年生で、皆を笑わせることが好きな優しい子でした。
この花が色々な場所で咲けば、たった16だった彼のことをたくさんの人に知ってもらえるかもしれないと思いました。」(水華里さん)
避難所で知り合ったボランティアの方々の協力も得て水華里さんはナデシコの苗を配り始めました。
最初は町内の知人・施設から。
ナデシコは強い植物で、株分けからの根付きも比較的容易だと言われています。
情報はインターネットやラジオ・新聞でも広まり、分けた株から更に株が分かれ、いま『ヒサのナデシコ』は全国でその細い葉を広げています。
水華里さんのもとには各地から被災地とヒサヨシくんを想う声が届くようになりました。


この夏休み、水華里さんは島根からのお客様を迎え入れていました。
水華里さんが出雲市で講演をされた際に知り合った女性で、もう3年も家族ぐるみのお付き合いをされています。

女性の2人のお孫さんは毎年、夏休みの自由研究として南三陸や東北で見たものをレポートにまとめているそうです。

この日は皆でナデシコの苗作り。
水華里さんのお母さん、甥っ子・姪っ子も混ざり、大家族のようなチームワークで苗ポットが出来ていきます。
このうちのいくつかはまた島根のどこかで咲いてくれるのでしょう。


「今もナデシコは増え続けています。
目標は、いつか全国の『ヒサのナデシコ』を巡ること。
ヒサヨシくんのご両親も一緒にね。」(水華里さん)

(2015年5月 ボランティアセンターにて)
『ヒサのナデシコ』プロジェクト
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(日比谷)
