大きな倉庫のような室内で、多くの地域住民が椅子に座り、前方でマイクを持った我妻和樹さんの話を聞いている上映会の様子の写真

1月13日、三連休最終日。
南三陸ポータルセンターでは映画上映会が開かれていました。

大きな倉庫のような室内で、多くの地域住民が椅子に座り、前方でマイクを持った我妻和樹さんの話を聞いている上映会の様子の写真

「波伝谷に生きる人びと-第1部-」は震災以前の南三陸町戸倉地区 波伝谷を撮ったドキュメンタリー映画です。
撮影期間は2008年3月から震災発生までの3年。
スクリーンには穏やかで豊かな浜の暮らしが映し出されます。

薄暗い会場内で、観客のシルエット越しに、スクリーンに地域の祭りの様子を撮影した映像が映し出されている写真
スクリーンに青々とした田んぼが広がり、その向こうに漁船が浮かぶ穏やかな海と遠くの山並みが映し出されている写真

海の仕事や地域の行事、日常の語らい。
「なんにもないがら撮んねぐたっていいよう~。」
「何年も後に見だら懐かしぐ思うのがねえ…。」
そんな声を浴びながら撮った映像は奇しくも二度と撮れない貴重なものとなってしまいました。

波伝谷は先の震災時、町内でも特に被害が甚大だった地域。
約80戸あった住宅のほぼ全てを流失しています。

白いスクリーンに、雨が降る道路の前で白いシャツと黒い長靴を履いた人物が映っている様子の写真

映画制作はピーストゥリー・プロダクツ。

監督・撮影の我妻和樹さんにお話を伺いました。

カメラ目線で写る我妻和樹さんの写真

我妻監督は宮城県白石市出身。
東北学院大学在学中に波伝谷の民俗調査に携わり、2008年の卒業と同時に同地域の映画製作を開始したそうです。

「僕が波伝谷に惹かれるのはよくも悪くも、人が地域と深く関わりあいながら生きているところ。
時代と矛盾することも多いけれど、その中に喜びもある。」

そんな波伝谷の映像を編集し、初の試写会を開いたのは2011年12月のこと。
「懐かしい景色が見られた」「見たかったものと違う」など当の波伝谷の方々の反応は賛否両論でした。

その声を汲みながら編集を重ねること1年8か月。
2013年8月15日、同じ会場での完成試写会では人びとから納得の声が上がったそうです。
撮影開始から実に5年半が経っていました。

映画はその年の10月、山形国際ドキュメンタリー映画祭へも出品され発表の場を広げています。

波伝谷の記録をライフワークと考えている我妻監督。
これからの再生の姿もいずれ映画としてまとめたいと語ります。
「生きている限り、形を変えながらも人の営みは続きます。
波伝谷という小さな世界から普遍的なことが見えてくるはずです。」

(日比谷)

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