南三陸町には、イースター島のトゥキー族が製作した“本物”のモアイ像があります。
このモアイは、チリ共和国と南三陸町の友好の証、震災復興のシンボルとして2013年5月25日に贈られたものです。目は白サンゴと黒曜石で作られており、プカオと呼ばれる帽子のようなものが乗っています。目が入るとモアイにマナ(霊力)が宿ると言われています。高さ3メートル、重さ2トンあります。

顔は縦長、高く張った額、直線的な鼻、くぼんだ眼窩が目立つ巨大な石像のモアイ像の写真

南三陸町とモアイ像の関わり

 2013年5月25日、多くの方々に見守られながら、門外不出と言われてきた「イースター島のモアイ像」が、遥々太平洋を越え、南三陸町にやってきました。

 そのきっかけは1960年5月24日未明に発生したチリ地震津波にさかのぼります。当時の壊滅的な被害から共に復興を目指した友好の証を後世に伝えるため、1990年には国鳥コンドルの碑がチリ共和国から贈られ、また、1991年にはチリ人の彫刻家によるモアイ像が制作され松原公園に設置されていました。

 2011年3月。東日本大震災の巨大津波は、数トンもあるモアイ像でさえも簡単に飲み込みました。しばらくした後、瓦礫の中から発見されたモアイ像は、モアイ像をモチーフにして地域おこしに取り組む、志津川高等学校(現在南三陸高校)の敷地内に一時移設されました。この様子を知った日智経済委員会チリ国内委員会は、再び復興を目指す南三陸町に新たなモアイ像を設置しようと、イースター島の長老会などに協力を呼び掛けてくださいました。

 これまで、イースター島の石を使い彫られたモアイ像が、島外に出たことはありませんでした。しかし、かつて倒れてバラバラになっていたモアイ像を、日本人がもとの姿に建て直す作業の支援をしたことがご縁になり、イースター島初のプロジェクトが進められ、約17,000キロメートルの距離を超えて、再びこの地にモアイ像は戻ってきたのです。

 「モアイ」は、イースター島のラパヌイ語で「未来に生きる」という意味を持っています。

 南三陸町のモアイ像には、門外不出の大切なものを贈ってくれたチリ共和国とイースター島の人たちやモアイ像再建のため、力を尽くしてくださった企業・団体、その他多くの人たちの思いが込められています。

 未来に生きる南三陸を、遠い未来まで勇気づけ、見守り続けることでしょう。

モアイ像をバックにチリの国旗旗を持った学生3名と関係者の方々が4名並んで写っているモアイ像贈呈記念式典の写真

モアイスポット

 南三陸町には、この本物のモアイ像が設置されている「うみべの広場」のほかにもモアイスポットがあります。ぜひ、訪れてみてください。

橋の欄干に設置されたモアイ像の写真

館下橋の欄干にある2体のモアイ

横たわったモアイのように見える岩山が海の中に見えている写真

サンオーレそではまから見える横たわるモアイ

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