平成25年12月10日に、平成25年南三陸町定例議会において町長が表明した、所信です。

所信表明

 本日「平成25年南三陸町議会第10回定例会」の開会に当たり、3期目の町政運営について、町民の皆様をはじめ議員の皆様に、私の所信を申し述べる機会をいただき、心よりお礼申し上げます。

 私は、今回3度目の信任をいただきました。身の引き締まる思いがするとともに、この思いを忘れることなく町政運営にあたることを、まずは皆様にお誓いをいたします。

 さて、私の2期目の4年間は、リーマンショックに端を発する「100年に一度といわれる経済危機」の影響による深刻な不況と、政権政党の交代という社会、経済環境が大きな変遷を見せているときでした。厳しい行財政運営になることは覚悟いたしましたが、それでも、1期目から進めてまいりました新生「南三陸町」のまちづくりを止めることなく、ひたすら前に前に進めることに努めてまいりました。

 特に、新町建設計画については仕上げの期としての気概を持って取り組みました。防災無線のデジタル化による安心・安全のまちづくりの向上、保育所・子育て支援センターといった子育て環境の向上、図書館や入谷小学校プールといった教育環境の向上、さらには、ばなな漁港、稲渕漁港等各漁港の改修による生産環境の向上など、住民生活に安らぎと活力をもたらす施策に果敢に取り組んでいた矢先に、東日本大震災が発生いたしました。

 あの日以来、私は、生かされた重みを一身に背負い、必ずやこの町を再建することを誓いました。もちろん道は険しく長いことも覚悟いたしました。時に、断腸の思いで集団避難として町外に被災者を送り出したこともありましたし、仮設住宅を設けるという決断もいたしました。いずれの時も私は、「必ず町を取り戻し、迎えに行きます。」と誓い続けました。

 私は、今回の選挙を通じて、多くの町民の皆様の声をお聞きいたしました。その多くは「1日も早く町を取り戻してほしい。しっかり頼む。」という心からの叫びでありました。私は、そのたびに、「立ち止まることなく、必ず成し遂げます。」とお約束をいたしたところであり、3期目を付託された今、復興事業を加速させる決意を新たにいたしました。そして、次の7つの柱を軸としてまちづくりを進めてまいりたいと考えております。

住宅再建の加速化

 まず一つ目は、「住宅再建の加速化」であります。

 町の繁栄には心豊かな町民の暮らしが必要で、その基礎は家であると思います。町内20地区28団地に整備する防災集団移転促進事業が、今年度内に全地区で着工するとともに、順次、希望された皆様にお渡しして参ります。目下のところ、最も早い藤浜地区では12月中に竣工を迎えることから、平成26年度には分譲あるいは貸付を行っていけるものと思っております。また、災害公営住宅につきましては町内の8か所に整備することとしておりますが、こちらにつきましても、来年夏を予定しております入谷地区及び名足地区を皮切りに、住宅建設と入居開始を進めてまいります。さらに、個別で再建される皆様には、国の支援制度の積極的な活用を勧めるほか、国の制度が利用できない方には町としての独自支援の活用を勧め、住宅再建を力強くバックアップしてまいります。今は、重機と車両の音が多く響いておりますが、これに大工の音が加わることで復興の実感が湧くことと思います。

生産基盤の復興

 二つ目は、「生産基盤の復興」であります。

 本町の基幹産業は水産業とこれに関連する産業でありますことから、私は震災以来一貫して「水産の再生なくして町の再生なし」と繰り返し話してまいりました。町内のすべての漁港が甚大な被害を受けましたが、漁業者の皆さんの努力も相まって、早期にほとんどの漁港で水揚げの再開を果たしており、引き続き各漁港の復旧を精力的に進めてまいります。さらに今後は、水産物地方卸売市場の高度衛生管理型による整備を進めるとともに、旧志津川市街地において進められる区画整理事業を活用して、水産関連産業等、事業の本格的再建や拡大を求める民間事業者の方に、良好な生産基盤の提供を行います。また、よりスピード感を持たせるために、段階的な「まちびらき」の方策を導入し、企業や事業所の立地について戦略的に支援を行ってまいります。

 さらに、被災農地の復旧と農地の基盤整備を進めながら、併せて農産物の特産化を図り、6次産業化の推進や観光産業との相乗効果により、地域のブランド化と付加価値の高い南三陸オリジナル商品の開発を進めるべく官民一体となった取り組みを進めてまいりたいと考えております。

医療・保健・福祉の一体的整備

 三つ目は、「医療・保健・福祉の一体的整備」であります。

 復興計画にも謳われておりますとおり、安心を実感できる保健・医療・福祉は、今後のまちづくりにおける大きな柱の一つであります。平時、被災時にかかわらず、医療、福祉は町民が最も望むものであり、私自身も最優先に取り組むべきものと考えております。これを具現化するため、他の事業に先駆け、新病院と総合ケアセンターと併設する事業に着手しており、現在、沼田地内の造成を進めております。新病院のオープンにつきましては、目下のところ平成27年秋ごろと予定しておりますが、1日も早く供用開始ができますよう、職員、スタッフと一丸となって整備を進めてまいります。

 また、津波被害により現在志津川保育所に統合しております戸倉保育所につきましては、戸倉折立地区の防集地内に再建を図ります。伊里前保育所につきましても、より安全な高台に移転新築を行いたいと考えております。

教育環境の整備推進

 四つ目は、「教育環境の整備推進」であります。

 過日、名足小学校が再開いたしました。再開の日、子どもたちと保護者の皆様の笑顔を目にし、復興の歩みを実感し喜びを共にいたしました。被災したとはいえ、無限の可能性を秘めた子供たちにしっかりとした教育環境を用意するのは、私たちの義務であると思います。来春には、戸倉中学校と志津川中学校が統合し、新たな志津川中学校が誕生いたします。戸倉地域の保護者の皆様には大変大きなご決断をいただきました。その際私が申し上げましたのも、ひとえに子供たちにとって望ましい教育環境の整備であります。大勢の中で切磋琢磨し自らの可能性を探す機会に多く恵まれる。そのような環境を整えることが、私の役割であると考えております。そして、何よりも取り組みを急ぐのは戸倉小学校の再建であります。戸倉小学校につきましては戸倉保育所と同様に戸倉折立地区の防集団地に隣接する形で再建を行います。現在のところ平成27年度中の完成を目指しておりますが、こちらにつきましても、1日も早く完成し、名足小学校同様、満面の笑みをたたえた子供たちが校舎を駆け回れるよう、地域に子どもたちの歓声が響き渡れるよう精いっぱい取り組んでまいります。

三陸縦貫自動車道の早期供用開始

 五つ目は、「三陸縦貫自動車道の早期供用開始」であります。

 三陸縦貫自動車道は、旧町時代からの悲願であり、今もって多くの町民がその早期開通を待ち望んでおります。東日本大震災を経て、三陸縦貫自動車道は「復興道路」「命の道路」として、その位置づけや重要度が増し、前例のないスピードで工事が進められております。

 去る7月31日には1号トンネルが、また、11月22日には志津川-歌津間の路線である南三陸道路において4号トンネルの掘削に向けた安全祈願祭も行われました。また、登米市から本町にいたる区間の工事も着々と進んでおります。

 今後とも、これまで培った人脈、ネットワークなどを活かしつつ、様々な形で早期供用開始に向け国や関係機関に要望をしてまいります。

交流人口の拡大

 六つ目は、「交流人口の拡大」であります

 震災前、本町は100万人の交流人口を抱えておりました。人口1万7千人の町にとって、100万人の交流人口はまさに町の活力の一翼を担うものでありました。震災により一時は激減したものの、ボランティアの方々や被災地を学ぼうとする方々などの来訪により、平成24年度には90万人まで回復がなされてきました。中には、ボランティアの方と町民の方の間でお互いの理解が進み、この町で新たな家庭を築くに至った方々もいらっしゃいます。人口減少が大きな課題として目の前に立ちはだかる本町にとって喜ばしい出来事でありました。

 東日本大震災を通じてたくさんの方々と心を通わせることができました。このつながり、そして絆をこれからのまちづくりに活かすことは極めて重要なことであります。

 訪れる方々に我々の町、暮らし、そしてときに辛く涙したことも含め、私たちの経験を伝えることにより、来訪する方を守り、同時に私たちの暮らしが守られる。さらに、折に触れて町の情報を発信し、お互いが継続的に心を通わせ共にこの町の未来を創造する。そうしたしっかりとした考えのもと交流人口の一層の拡大を図ってまいります。

津波防災都市への挑戦

 最後は、「津波防災都市への挑戦」であります。

 東日本大震災は、尊い町民の命を数多く奪い、町を壊滅的な状況に追い込みました。しかし私たちは、冷静さを失わず子供やお年寄りへの思いやりを忘れず、すべての町民が助け合って混乱の中を生き抜きました。世界からは日本人の美徳として多くの称賛が寄せられ、そのことがいち早く支援の手が入り込める状況につながりました。

 町の復興に向かい、私たちは、防潮堤の整備による防災、土地の嵩上げによる減災、さらには安全な場所に住むことにより命は絶対に守るというまちづくりを選択しました。また、発災からしばらくの間、内陸の入谷地域などは救援物資や人的支援の供給基地として重要な役割を果たしました。私は、こうした活動から日本人としての生き方、地域住民によるコミュニティの絆を加えた南三陸オリジナルの防災体制を構築したいと思っております。また、こうした姿やその過程、そして私たちの経験を広く伝えなければならないとも考えております。津波の経験を語ることは、誰にとっても辛い面があります。しかし、しっかりと語ることでこれから涙する人を一人でも減らせるのであれば、それは世界中から支援を頂いた私たちの使命であり、これらを織り交ぜた津波防災都市としての南三陸モデルを確立し、世界に向け発信したいと考えております。

 

 以上、7つの柱を中心として復興まちづくりを進めてまいりますが、まちづくりは私ひとりあるいは行政のみで進められるものではありません。町民皆様、議会、関係の方々などとの対話を通し、心を通わせ、未来を共有することこそが町の礎を作るものであり、今後とも協働のまちづくりを強く意識し復興まちづくりを進めてまいります。

 また、復興の加速化のためには、各種復興事業の進展に併せた柔軟な組織体制と多くのマンパワーが必要不可欠であります。このため、本町行政機構につきましても適時最適な改編を行うとともに、派遣職員や任期付職員、再任用による確保など様々な形によるマンパワー確保に努めて参りますので、議会のご理解とご協力をお願い申し上げます。

 

 冒頭にも申しましたとおり、復興は長く険しい道のりであります。しかし、倒れず、屈せず、立ち止まることなく、小さくてもキラリと光る町を取り戻すため、町長として全身全霊を傾け町政運営にあたってまいります。

 

 以上、3期目にあたっての町政運営に対する所信を申し述べました。

 町民の皆様、議員皆様の一層のご理解とご支援を賜りますよう衷心よりお願い申し上げます。

 

 

 平成25年12月10日

 

                  宮城県南三陸町長 佐藤 仁