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ざおうごんげん(いりややまや)
蔵王権現(入谷山谷)

蔵王権現(入谷山谷)

蔵王権現のケヤキ(自然の輝:巨石と巨木)のページへ

 入谷の山谷には蔵王権現にまつわるこんな伝承が残っています。
 「永徳年間(1381~1383)、紀州那智山(現在の和歌山県勝浦)の麓に山谷卿と名乗る身分の高い公卿がいました。幼い頃に両親を亡くしたため、その御霊を弔おうと僧侶になることを決意し家を出て修行に励みますが、ある時夢枕に両親が立ち、入谷山谷の地に一寺を建てることを勧められます。その寺、吟松山松山寺普門院が建立されたのは応永2(1395)年のことです。この入谷の地が山谷と呼ばれるのは、道入和尚となったこの公卿が、かつて山谷卿と名乗っていたことに由来するのです。
 さて、道入が普門院で仏道に精進を重ねていたある夜、白衣を着た老婆が現れ、「私はこの山に住む山姥ですが、この世の中から病気や災難などの不幸を無くしたいと思っております。そのためにはどうしたらよいのでしょう。」と問われました。道入はそれに答えて「されば百日この寺にお参りして祈りなさい。満願の日が来れば判ることでしょう。」と返しました。そして満願の日、山姥が現れ「この布一巻を差し上げます。但し中を見ずに大切に保存してください。そうすれば御寺は末代まで栄えましょう。」と言って去っていきました。道入和尚は、その言葉を守り寺の宝物として大切に保管しました。
 山姥はその和尚の信心を見て、にわかに蔵王権現に姿を変え、「私は蔵王権現である。おぬしの信心を見届けた。末の世までこの寺が栄えるように私が守ってあげよう。」と告げました。和尚は、「されば、権現様の御社はいずこに。」と問うと、「この近くに水も出そうでない場所に清水あり。それが社の印なり。」と答えるや光となって飛び去りました。
 蔵王権現の言葉通り、ケヤキのそばの清水を見つけた和尚は、そこを普門院の奥の院としました。」

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