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いしょくじゅう かやぶきみんか
【衣食住】萱葺き民家

【衣食住】萱葺き民家

 萱(茅)を屋根に葺いた住宅(民家)で、明治初期までは町内の9割以上はこのような萱葺きの屋根でした。屋根萱には相当量の萱が必要であり、部落が一括して公有休を借り受け、茅野山として萱の育成を図っていました。また、萱の葺き替えは最低でも40年に一度行う必要があり、資材費や人足の手当などその負担は大変なものでした。そこで掛茅契約講などを作って、契約会員で負担を軽減するなどの工夫をしていたそうです。現在、町内では東日本大震災による流失・倒壊もあって、このような萱葺きの民家を見ることはほとんどなくなりました。ひころの里には、当時の面影を残す須藤家住宅(松笠屋敷)を保存公開しています。

【2005.04.23 戸倉波伝谷にて撮影】

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